『空洞化のウソ』

空洞化のウソ――日本企業の「現地化」戦略 (講談社現代新書)

空洞化のウソ――日本企業の「現地化」戦略 (講談社現代新書)

企業取材を仕事とするため、経営者に会うことは多い。国内の雇用に対する考え方を聞くことも少なくない。自分でも陳腐な質問だなと思うが、企業の生産拠点の海外移転に伴って国内の雇用縮小などを指す「空洞化」という言葉を一ヶ月に一回は使っているかもしれない。

「空洞化」について個人的に強い関心を持っているわけではない。本音を言えば、相手の答え方次第では記事の見出しが立ちやすいから聞いてしまう。そうは言っても、相手も相手で用意された想定問答集があるので、オンレコの場では「国内の工場は守る」といったことを話すのである。「○×工場閉鎖」などの見出しは簡単には立たないのである。いわば、営業マンが「今度、飯行きましょうよ」と投げかけ、相手は「おまえなんかと行くか、ボケ」と思っていても、「いいですねー、是非」といった答えるのと同じような予定調和なやりとりがあちこちの取材の場でも不毛にも展開されているのである。

こうした流れが少しずつ変わってきたのはリーマンショック以降だろうか。オンレコの場でも、超意訳すると「世界で戦っているのだから何で日本でだけモノをつくりつづけなければいけないのだ。別に国内を軽視するわけではないけれども」と声高に叫ぶ大企業の経営者もちらほらと増え始めた(もちろん直接的にこう話す人は少ない)。それでも大マスコミは企業の海外の新工場建設が発表されると、国内製造業の先細りに警鐘を鳴らしまくるのである。

本書はこうした空洞化に対する危機感のあおりに統計などを使って冷静に反証する。「空洞化はウソだ。海外に出て行く現地化でしか生き残れない。それこそが国内も含めてハッピーになる処方箋だ」と著者は語りかける。3章構成で1章が空洞化について2章はいかに新興国に進出して現地化を進めるか、3章が総括になっている。

実際、空洞化を証明する研究論文や統計はない。むしろ、統計や実証研究はアジアへの進出が進んでいる企業ほど国内の雇用も増えていることを結論付けているという。現地化が進めば国内本社は海外法人をサポートする部署や研究開発部門の人員を拡大する必要性に迫られ、雇用が増えるというわけだ。
それでも「海外進出=空洞化」という議論は都市伝説のように、亡霊のように産業政策につきまとってきたという。こうした間違った見方が日本の産業を萎縮させ、成長を妨げかねないと著者は指摘する。すでに貿易収支(貿易の輸出入の差分)と所得収支(海外投資から得られた配当や利子)が逆転して久しいことを踏まえれば、加工貿易で国を支えているとの認識は改めるべきである。制度的にも「貿易立国から投資立国へ」と変貌していくのは自明だと著者は説くが変化が遅いのが実態だ。

著者は、本筋から逸れた突っ込みを続ける抵抗勢力の存在が日本の産業政策の変革や企業の意識の遅れにつながってきたことを示唆する。本書では具体的な言及はないが、その本筋から逸れた突っ込みというのが「生産の海外移転が進めば、大手企業の地方の工場がつぶれるのでは。そこに勤務している彼らはどうするの」といった類のものだろう。実際、国内大手企業の製造拠点が拡大する可能性は今後極めて少ない。むしろ、大手企業の人員削減や工場閉鎖の報道が年初以降、相次いでいる。もちろん、対策は必要だし急務な問題だが、こうした問題が話題になればなるほど議論の本筋が見えにくくなる。なぜなら人員削減や工場閉鎖がテレビや新聞をにぎわす業界は、海外移転というよりもビジネスモデルや構造不況が原因だからだ。海外移転の結果、もたらされる雇用減「空洞化」ではないのだ。

官僚である著者がグランドデザインを描いても、今後もこうした抵抗は予想される。著者は手遅れになることを懸念する。もたもたしていたら身動きがとれなくなると。だから、勝手に飛び出していきましょうと企業にエールを送る。日本の仕組みを変えるには外から変えるしかありませんと強烈なメッセージをこめて。

現地化に関する記述では新興国戦略で参考になるようなモデルケースを数多く紹介している。筆者がインドやタイに赴任して、海外企業の現地化を間近で見てきたため、取り上げる企業も国際色や規模がさまざまだ。国の産業のあり方というマクロ的な視点に加え、豊富な事例で著者の議論を裏付けした現地化というミクロの視点を内包したことで、本書は一般論に終始しがちな「よくある経済本」と一線を画すことにつながっている。

『サブカル・スーパースター鬱伝』

サブカル・スーパースター鬱伝

サブカル・スーパースター鬱伝

サブカルライターであり書評家であり、「プロインタビュアー」を名乗る吉田豪サブカル業界人10人に迫ったインタビュー集だ。雑誌「クイック・ジャパン」の連載をまとめたもので、インタビュー対象はリリー・フランキー大槻ケンヂ松尾スズキみうらじゅん菊池成孔など一定の知名度があると思われる人から杉作J太郎など一部のマニアには熱狂的に受けそうな人まで。狭いのか広いのかわからない人選だが、彼らが著者の取材に対して共通して口にするのは「サブカル男は40歳あたりで鬱になってきた」という一言だ。元の連載のテーマが40歳を目前に控えた著者が「サブカル人は40歳を過ぎると鬱になるというが本当かを業界の先輩に聞く」であるため、当然といえば当然の返答なのだが、我々が想像する以上に揃いも揃って悩みが深いのである。

お洒落なミュージシャンのイメージが強い菊池成孔は、駅前の喫茶店で友人と待ち合わせをしていたら「あっというまに全裸になっちゃったんですよ」と何事もないように語る。「ズボンのチャックは開けて、ずっとハーハー言ってる」と自然に振り返るが、間違いなく状況次第ではアウトである。いや完全にアウトである。結果、「自分は絶対に罹らない」と思っていた神経症と診断される。

オカンと僕がどーした、こーしたで小説が爆発的に売れたリリー・フランキーは文章が書くのが嫌になり味覚障害睡眠障害になり、何もやる気が起きなくなったという。著者の「その時期は主に何をやっていたんですか」という問いに「オナニーだね。酒飲んでオナニー」と答える。「小学生か」と突っ込みたくなる受け答えだが、インタビュー全体のトーンからして間違いなく自慰を繰り返しているような気だるさがつたわってくるので真実なのだろう。

インタビュー対象の10人が鬱(もしくは鬱らしき状態)になった詳細は本書に譲るが、彼らが共通して抱えるのはサブカルという傍流の出自の若造がテレビ出演などメディア露出を経ていつのまにか本流もしくは本流に近いところに組み込まれてしまったというジレンマである。そして、年月を経て段階的に業界でのポジションが上昇して40歳前後で下手すると大家扱いされることによってその居心地の悪さはMAXになり、鬱につながるというわけだ。
その居心地の悪さを絶妙に表すのが本書のタイトルだ。本書内で言及はないがサブカル人の思いを汲んでいる。「サブカル・スーパースターってなんだ。サブでスターって矛盾してないか。俺らは単なるサブカル人だぜ」と。単に梶原一騎原作の漫画『プロレススーパースター列伝』をパロっただけではないのである。

居心地の悪さに敏感であるということからもわかるように、著者はインタビューを通じてサブカル人の大半はサブカルに対する負い目だけでなく自意識過剰が強いことを浮き彫りにする。リリー・フランキーを筆頭に何人かが語っているがサブカル人は体育会系のように「高級車買って、綺麗なオネーチャンを側にはべらして」では満足できないのである。なんとも悲しい話だと個人的には思うのだが、世間的な成功をしても喜べないのである。別に誰も見ていないのだが。

逆に言えば、恥じらいと自意識過剰の強さがサブカルの原動力であったのは間違いないだろう。ありもしない視線に耐え、必死に背伸びをして、おそらく自らの強い意思などなく、いくつものタイミングが重なり世に出てきたのである。自らを計算高くプロデュースするなどできそうもない旧世代の彼らが世に出たのも時代性だろう。そして今、サブカルという言葉がかつてほど勢いがないのも時代性だろう。サブカル人が恥じらいもなくアイドルオタクを公言する時代にサブカルも何もないと著者は指摘する。

面白いのは、巻末の著者と編集者との対話。11人のインタビューを経て(10人+総括で取材した香山リカ)、著者はサブカル人が鬱になる理由をあれこれ挙げるのだが、腑に落ちないらしいのだ。それは各人の生い立ちが違うのだから、括れないのが当たり前なのだが、評論家の町山智浩(本書には登場しない)の「結局、みんな女性問題なんだよ!!」というちゃぶ台をひっくり返すような言葉を引いてくる。小金持って、浮気して、家族がぼろぼろになるから、鬱になって壊れると。「確かに」と思ってしまうが、こうなると、完全にサブカルが関係ない。永田町スーパースター鬱伝でも良い気がしてくる。

その通りなのである。理由は人それぞれにせよ、サブカル人でなくても迷いまくる時代なのだ。喫茶店で全裸になることはなくても、40歳になっても悩むのである。孔子の時代とは違うのである。そう考えると、本書を「どんなに順風満帆でも40歳付近でリズムが狂ってくる10人にインタビューしている本」として読むと楽しみ方も変わってくる。「40歳になるとおかしくなるのか」まではいかないでも「大変だろうな」という危機感は誰しも持っており、そこをうまーく突いたインタビュー本になる。実際、紹介されているサブカル人にはほとんど興味がない私でも最後まで読み進めてレビューまで書いてしまう引力が本書にはあるのだ。

『本当は『怖い昭和30年代』

本当は怖い昭和30年代 〜ALWAYS地獄の三丁目〜

本当は怖い昭和30年代 〜ALWAYS地獄の三丁目〜


映画「ALWAYS三丁目の夕日」が公開されて以降、昔を懐かしむ声をよく聞くようになった。社会学者の宮台真司などは「当時ってあんなに町並み綺麗じゃないだろ。ドブくさくてたまらないだろ」と突っ込みをひたすら入れ続けているが、ノスタルジーに浸りたい人びとは意外と多いのだろう。05年に一作目が公開されて以降、人気は根強く今年初頭には第三作目が封切られた。高齢者の方が過ぎ去りし日を懐かしむのはまだ理解できるが、この映画関連のテレビ番組で「昭和30年代に生まれたかった」と二十歳ぐらいの若者が答えていた。椅子から転げ落ちそうになるとはこういうことを言うのか。周りにそのような方がいたら是非この本を渡して欲しい。表紙からして萎えるはずだ。ページを捲れば恐ろしすぎて「現代が大好きです」と背筋を伸ばして答えるに違いない。
少年犯罪、女性の自殺者数、感染症の死者数、寄生虫の感染率など約100のテーマを見開きで1テーマずつ取り上げており、「昔は良かった」幻想を見事なまでに打ち砕く。「ALWAS三丁目の夕日なんて嘘っぱちだ!昭和30年代は地獄の3丁目だ」と定量的なデータを使って粉砕してくれるのだ。出版社が出版社だけにシモ系やら犯罪系やらのトピックスにも目をつぶらないのがなんとも素晴らしい。
例えば最近はロリコン野郎の犯罪が目立つ気がするが昭和30年代には敵わない。「児童ポルノどころか幼女レイプも日常茶飯事」という項目によると、平成17年の幼児(小学生以下)のレイプ被害者は41人。一方、昭和34−39年までは常に毎年400人以上を記録したという。児童の数自体に違いがあるとはいえ、異常といえるほど多い気もする。「当時残っていたのは人情ではなく欲情だ」とまとめているが上手すぎるシメである。
最近は幼児が殺される事件も少なくないが、昭和30年代には敵わない。昭和30年に事件に遭い、殺された幼児の人数は437人で平成21年の12倍。人口構成比を踏まえてもやはり多い。当時は幼児が幼児を殺すケースも目立ち、5歳と6歳の男の子が近所の民家から赤ちゃんを連れ出し、荒縄で縛って40メートル引きずった挙げ句、溝に突き落として殺すという怖すぎる事件も起きている。ちなみに幼児、幼児と朝から連発しているが私自身は変な嗜好はない。
内容以上に、本書の特筆すべきなのは価格。ほぼワンコインである。個人的には素晴らしい内容だと思うが、この価格ならば、買って内容がイマイチでも腹も立たないはずだ。HONZ史上最安値ではないだろうか。あまりの安さのためか、アマゾンで見たら1週間待ちだった(今確認したら在庫あり)。何でそんな人気なのだと思ってググってみたら週刊文春で評論家の宮崎哲弥が推していたらしい。文春、毎週読んでいるのに完全に見逃した。「おそるべし宮崎哲弥」と思ったが、単に刷っている部数自体が少ないだけなんだろう。この時点で本来ならHONZで紹介する気も失せたのだが、本日の深津晋一郎のレビューと関連するので取り上げる。ウソである。書き始めて今更他の本にチェンジできないので突き進むだけである。

安さに加えてというか安さの理由は本書がコンビニ本である点。コンビニ本とは雑誌コーナーの脇に漫画が置いてある棚に紛れ込んでいる紙質からして見るからにチープな本である。『芸能人薬物汚染〜』やら『消えた芸能人〜』やら『地球外生命体が〜』といった感じの本が並んでいるのを見たことがあるだろう。あれである。「誰が買うんだよ」と思っていた人もいるだろうが、私が買うんだよ。「この、ホンズの面汚しが!」とHONZ編集長の土屋敦に罵倒されそうだが、もう十分汚しているので無視である。

ルワンダ」やら「シャネル」に慣れ親しんでいるHONZ読者には抵抗はあるかもしれないがコンビニ本は目利きさえ間違えなければ、興味を広げるための費用対効果は抜群だ。ネット情報を切り貼りしただけのような寄せ集め本も少なくないのだが、たまに本書のような思わず読んでしまう本に出会う。構成も大概が見開きや数ページで一つのテーマについて解説するため、トイレでぱらぱら捲って「へー」と思ったらその項目に関連する専門書をググって買って読めばいい。HONZ読者も難しい本ばかり読まずにたまには、深夜のコンビニでヤンキーに絡まれながらコンビニ本を漁る生活を送って欲しいものだ。あっ、昭和30年代でもないしネットで買えばいいんだけどね。

『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください』

上野先生に勝手に死なれてもと全く困らない人も本書のテーマの自分の親の介護や死は切実だろう。そんなの関係ねーとは言ってられないはずだ。強引なのは承知の上での3冊目である。

本書は元東大教授の上野千鶴子と元教え子で、最近、『絶望の国の幸福な若者たち』で話題になった東大院生の古市憲寿の対談本。親の介護問題や死について古市の質問に上野が淡々と答えていく。希望を提示するわけでもなく、希望がないわけでもないところが何とも現実的だ。古市氏の「カイゴってよくわからないっす」「親に頼っちゃまずいっすか」って本音丸出しというか甘いというか見方によっちゃ軟弱なノリが全編を通じて表に出ているのが個人的には興味深い。院生で本を出してそこそこ売れるって言うのは浅田彰東浩紀のようなイメージだったが時代は変わったのね。それは本の内容とは関係ないけど。

『同性愛の謎』

なぜクラスに一人いるのか 同性愛の謎 (文春新書)

なぜクラスに一人いるのか 同性愛の謎 (文春新書)

別にあなたがゲイに目ざめる可能性があるといわけではない。私個人としては、あなたが目覚めても良いと思うが。実は私も困惑している。家で一昨日、この本を読んでいたら、タイトルを見た妻が思い悩んだ顔をし始め、数時間後に「そっちもいけるの」と神妙な顔で聞いてきた。昨日、朝飯を食べているときも、夕飯を食べているときも。本と実生活は何の関係も無いのに。何も悪いことしていないのに。「女性と浮気するよりはいいわ」などと言われても、どう答えてよいかわからない。たぶん、「そっちはいけない」だろうし。「ニューハーフならいけるかもな」とでも答えればよかったのだろうか。いまだによくわからないが、確かなのは私自身、同性愛に関心が低かったことだろう。

さて、本書では同性愛者(バイセクシャル含む)は子孫を残す可能性が異性愛者の5分の1程度なのになぜ常に一定の割合が存在するのかという謎に迫っている。最初に書いておくが、この本、同性愛者やら専門家には評判があまりよくないらしい。ネットを叩けばいろいろと批判も出てくる。確かに、やたら文中に「!」が出てくるし、同性愛者の感情を逆なでしかねないのではと危惧される表現も散見される。私にはよくわからないがトンデモ論文ばかり参照しているとの指摘もすくなくないみたいだ。

ただ、性に悩まず平々凡々と生きている異性愛者にとって見れば、同性愛自体が透明な存在である面も否めないだろう。関心を持つ糸口が無ければ、同性愛に対する理解は深まらないのが現状ではないか。そのような意味では著者の視座は良くも悪くも異性愛者には興味深く、すんなりと入り込める。文章も読みやすく、構成もよく考えている。例えば、第一章第一項は「まずはペニスサイズを測定する」である。定規を持ち出したのは私だけではあるまい。第三項は「今夜一緒に過ごしませんか?」である。それはちょっと困る。「おいおい何が書いてあるんだ」という世界である。正直、1章を読むだけで本書の価格の740円の価値はあると私などは思ってしまう。噴飯ものだと怒る人もいるだろう。ただ、繰り返しになるが、関心を少しでも持たなければ正しい理解もなにもないのではなかろうか。

『歌に私は泣くだらう』

歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子闘病の十年

歌に私は泣くだらう―妻・河野裕子闘病の十年


現代を代表する歌人河野裕子が亡くなったのは2010年の夏だ。河野の死後、夫の永田和宏が妻の遺品の整理をしていて、ティッシュ箱を捨てようとしたときに目に入ってきたのが箱の上面の文字だった。横や裏にも文字は並んでいた。薄い文字で書かれていたが間違いなく歌の断片だった。ティッシュの箱だけでなく、薬袋や封筒にも文字は残されていた。死後、細胞学者であり歌人でもある永田や同じく歌人の娘、歌に造詣が深い息子とそうした河野の「遺作」を解読して、整理する姿はテレビや書物でも紹介された。モルヒネの投与を拒み、最後の最後まで歌人として生きた河野は「手をのべてあなたとあなたに触れたときに息が足りないこの世の息が」という名歌を死ぬ前日に残したことでもしられる。そのため、気力を振り絞って必死に歌をうたいつづけたとの印象も抱きがちだが、ティッシュのエピソードからはむしろ、自然体で歌をうたい続けたというのが真実の河野の姿に近いことがわかる。

河野裕子は戦後生まれで初めて角川短歌賞を受賞するなど女性短歌界のスターだった。といっても、私は短歌は全くわからないため生前は名前を知っていた程度だ。たまたま私の妻が永田とその家族の短いテレビ番組を河野の死後に製作したことがあり、本書で触れられている冒頭の話も知った。当時は、私の想像力が乏しいためか、正直、「暖かいけど濃い家族だな」という認識程度しかいだけなかったというのが本音だが。

これまでも永田が河野との半生を振り返る書籍は河野の死後に数多く出版されている。本書の新しい点は永田が河野の癌発症後の闘病生活の10年間を包み隠さず書き綴った点だ。前述のように河野の作歌の日々の息遣いが聞こえてくる反面、精神的に変調をきたした河野の攻撃性と家族との修羅場も嫌でも伝わってくる。河野の気の強さはこれまでの著作からも想像できたが、包丁をテーブルや畳に突きつけ、家族に罵詈雑言を浴びせつづける姿は永田がいうように正気ではない。温厚な永田は耐え続けるが、あるとき、椅子をテレビに投げつけ、花瓶をテーブルに叩きつける。出口の見えない日々に永田は死んでしまいたかったと当時を冷静に振り返る。

壮絶な生活を送る中で両者を結びつけていたのが歌だ。河野はどんなに荒れていようと歌を雑誌などに出す前には永田に見せて、永田が認めた歌以外は公にはしなかった。彼女が正気とは家族も思っていなかったが、精神科などへの入院措置をとることはなかった。河野の歌の中に抗いようがない発作と戦う苦しみを打ち出した歌も少なくなく、永田は哀れみかもしれないとしながらも「遠くにやってしまうことができなかった」と語る。癌再発後と同時期に新聞に共同で連載を始めたことも二人の関係をより近づけた。連載のめどは2年。主治医に告げられた余命も約2年。新しい仕事でありながら、最期の2人の時間を完結させる作業にもなった。

歌人同士だからこそ、普通の夫婦以上にわかりあえることもあったのだろう。だが同時に互いが歌人であったことが死後、永田を苦しめた。本書は時系列で河野が残した歌、そして永田の歌を辿りながら当時の心情を紐解いている。永田が、死後、妻が残した歌を見つけて愕然とする。手術後、その日の内に仕事で病院を離れたあの時。家に帰りたくないため、夜遅くに帰り、家の灯りが消えているとほっとしたあの時。妻の歌を見るたびに、「思いやりにかけていた」と後ろめたい気持ちになる。普通ならば知りえない感情まで、幾多もの歌が残されたからこそ、そして自分も歌人であるからこそ相手がその歌を詠んだ時の息遣いまでわかってしまう。世の中には死者の思いをくみ取れずもがく人が数多くいるが、知りすぎてしまうことが必ずしも残された者を幸せにするわけではない。

永田は河野が家族に引き起こした問題について「それらをあからさまに書くということに、果たして意味があるのか。彼女を傷つけることになりはしないか」と本書の刊行の意義を自問し続けた。河野裕子の歌の背景を知ってもらいたいという気持ちから敢えて公にしたという。確かに本書は河野裕子が残した歌に文脈を与え昇華させることになるだろう。同時にこうした作業は永田の中の河野に対する後ろめたさを解体する作業にもなっただろう。それこそが最期まで「歌人」として生きた河野裕子だけでなく、「妻」河野裕子への最高の弔いではないだろうか。