『胸の中にて鳴る音あり』 上原隆 文藝春秋

胸の中にて鳴る音あり (文春文庫)

胸の中にて鳴る音あり (文春文庫)

「コラム・ノンフィクション」と著者は自作を評する。小説のようであるが、話は淡々と進む。強烈な読後感はないが、心に残る。21人の異なる人物の今と過去に焦点をあてた短編ルポからなる本書は取材をもとにかかれている(一部は著者自身の体験)。つまり実話だ。

本書で取り上げる人物は多岐にわたる。70年間、東大の構内で時計屋を営む老人、小説家を目指し新人賞に応募し続けても芽が出ない40男、不倫がやめられないOL。アトランタ五輪に選ばれ将来を嘱望された元Jリーガーから首相候補にもなった政治家まで幅広い。

登場人物に共通項はないが、著者は2つの姿勢を貫く。まず、単刀直入に心に迫る。政治家でさきがけ代表であった武村正義には「首相になりたかったか」と聞き、小説家を目指しつづける40男には「まだ、小説家になれると思っているか」と尋ねる。ルポにありがちな、肝心の部分を迂回するようなまどろっこしさはない。それが著名人であろうと、OLであろうと一貫している。決して鈍らない。

2つ目は、文末の解説で評論家の呉智英が指摘しているように言葉の使い方だ。物を書くとき、書き手はおそらく、習熟すればするほど、響きの良い言葉を求めてしまう。小技に走りやすい。ただ、著者の文章は難しい言葉を使わない。平易だが、陳腐な感じは全くなく、飽きはこない。文章がうまいというのはこの人のためにあるのだろう。作家の村上龍や評論家の鶴見俊輔が絶賛するのも納得する。

著者は1949年生まれ。大卒後、CM制作会社などに勤務しながら、本人曰く「いくつもの挫折を経験しながら」、人知れず、文章を書き続けたという。戦後の高度経済成長期に脇道を歩んだ著者だからこそ、市井の人々やどこかで歯車が狂ってしまった取材対象者の心の深部に直に触れ、それを正確に伝える言葉を持っているのだろう。

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

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