『異貌の人びと』

異貌の人びと ---日常に隠された被差別を巡る

異貌の人びと ---日常に隠された被差別を巡る

本書は自らも関西の被差別部落出身の著者が海外の被差別民族や迫害を受けている人々に迫った6編のルポから構成されている。「日本のマイノリティから国外のマイノリティに視点を向けたのか」と安易に考えて読み始めたが、実は、本書、著者が大宅賞受賞以前の雑誌掲載の作品が中心だ。「名が売れたので昔の作品を安易にまとめちゃいました本」なのかと思ってしまうかもしれないが、決してボツ原稿の寄せ集めではない。ノンフィクションを取り巻く環境を考えれば、今ほど知名度の無かった著者の当時の原稿が日の目を見るのはなかなか難しいのが実情だったのだろう。出版社から取材費を何とか出して貰い、手持ち資金がこころもとない中、自分の問題意識に少しでも引っかかれば戦地だろうが山奥だろうが向かう。銃弾が飛び交っていてもおかまいなし。時には掲載のめどがついていなくても、見切り発車で現地に出向く。狙い通りに取材が行かないことも少なくないが、その苦悩の過程も含め楽しめ、考えさせられるのが本書の醍醐味だ。現在の著者よりアグレッシブではないかと思えてしまう若かりしころの著者の姿がそこにはあるのだ。

取材対象は幅広い。ネパールのゲリラの女兵士から娼婦、イラク内戦下のロマの娼婦、コルシカ島のマフィア、サハリンの少数民族などなど。一見、バラバラだが対象が過去や現在に戦争下に身を置いているところが不思議と共通している。なお、娼婦が2回出てきたのは気のせいでもなく、誤記でもなく、私の趣味でもない。取材費を出してもらっている以上、ネタに窮して「何もかけません」では話にならないため、追っていたネタの雲行きが危うくなれば記事としては及第点が狙いやすい娼婦取材に出向くのだ。「娼婦?何が異貌だよ」と野暮な突っ込みはしてはいけない。もちろん、取材費を出してくれた雑誌に合ったネタというマーケティングの側面もあるだろうが、戦争や紛争下の娼婦という弱者の中の弱者に寄り添うところに、現在の著者の物書きとしての原点が透けて見えてくるのだ。

著者のそのような視点を形成したのは著者の生い立ちとは無縁ではない。著者の家族構成や関係は『日本の路地を−』に詳しいが、本書でも戦時下を旅しながら自らの生い立ちを振り返るところは何とも切ない。被差別部落の家庭で育ち、家庭でも父の母に対する暴力に無力さを感じ続けた幼少期の出口のない体験は壮絶の一語だ。弱者視点にとりあえず立って全体の歪みを映し出すという形だけのマスメディア的手法では到底及ばない弱者の叫びが著者の文章から感じられるのはそうした自己体験が根底にあるからだろう。すでに上原氏の著作を知る人はもちろん、知らない人にもお勧めの一冊である。